3万6千キロに及ぶアメリカ大陸横断ドライブ記録。通り過ぎた50州(現在49州)の写真を通じて各州のトリビア、国立公園、米国の歴史・文化等も学んでいきたいと思います。
by kazoousaca
カテゴリ:☆アメリカの歴史(18)( 19 )
1838年:チェロキー族「涙の道」
1838年:チェロキー族「涙の道」"The Trails of Tears"

1830年に定められた"Indian Removal Act"インディアン強制移住法により、ミシシッピ以東に住んでいたネイティブアメリカンはミシシッピ以東への移住を余儀なくされました。なかでも、1838年にオクラホマへの移住を強制されたチェロキー族は、厳しい冬の寒さのために移動中に約4000人が死亡してしまったそうです。このため、チェロキー族の辿った道のこと、そしてこの移住のことは、"Trails of Tears"「涙の道」と呼ばれるようになりました。

オクラホマ州オクラホマシティにある「国立カウボーイ博物館」"National Cowboy and Western Heritage Museum"の正面玄関ホールには、「涙の道」をイメージした"The End of the Trail"像があります。
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"The Trail of Tears"
the path that the Cherokees west of the Mississippi River. The journey was extremely long, cold, and difficult, and about 4000 Cherokees died. (LDOCE)

「涙の道」
チェロキー族がミシシッピ川以西へと辿った道のこと。その旅は、非常に長く、寒く、そして困難であり、約4000人のチェロキー族が死んだ。


by kazoousaca | 2006-02-25 16:37 | ☆アメリカの歴史(18)
1789年:ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任
1789年4月30日、ジョージ・ワシントンは初代大統領に就任しました。当日、就任演説が行われたのは、当時の首都ニューヨークシティのウォールストリートにあるフェデラルホール(Federal Hall)でした。建物の前にある銅像は、ジョージ・ワシントン。建物の向かい側にはニューヨーク証券取引所があります。↓
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by kazoousaca | 2006-02-19 18:51 | ☆アメリカの歴史(18)
1964年:公民権法の制定
1月第3月曜日は、1月15日に生まれたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを祝う日「キング牧師誕生日(記念日)」"Martin Luther King Holiday"です。

公民権法の制定(1964年)
会社は、皮膚の色や宗教が何であれ人々を平等に扱わなければならないということ、また、皮膚の色で採用を拒否してはならないことを定めたアメリカの法律。この法律は、また、レストランやホテルが人々の皮膚の色を理由にサービスを拒否してはならないと定めている。

"Civil Rights Act of 1964"
a US law which says that businesses must treat people equally whatever their colour or religion, and that they cannot refuse to employ someone because of their colour. This law also says that restaurants and hotels cannot refuse to serve someone because of their colour. (LDOCE)

"The National Civil Rights Museum"(公民権運動博物館)↓
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"Martin Luther King Jr. National Historic Site" (マーチン・ルーサー・キング・ジュニア国立歴史地区)↓
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このドアを開けるとどきっとします↓
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キング牧師の生家↓
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by kazoousaca | 2006-01-17 23:33 | ☆アメリカの歴史(18)
1956年:エルビス・プレスリー(ハートブレイクホテル)
1956年、エルビスのメジャーデビュー曲"Heartbreak Hotel"「ハートブレイクホテル」が全米NO1ヒットに。エルビスは1月生まれなのですね。

"Elvis Presley"
(1935-77) a US singer and guitar player, who first became popular as a rock 'n' roll singer in the mid-1950s, and became one of the most successful and popular singers ever. His many records had a great influence on popular music, and they include Heartbreak Hotel, Blue Suede Shoes, and Are you Lonesome Tonight?. He also appeared in many films, such as Jailhouse Rock (1957) and G.I. Blues (1960). He is often called "The King", and some people say that they do not believe that he is dead. Millions of people go to visit his home in Memphis, Tennessee, which is called Graceland. (LDOCE)

「エルビス・プレスリー」
(1935年~77年)アメリカの歌手でギタリスト。1950年代半ばにロック歌手としてはじめて人気となり、そしてこれまでに最も成功し人気となった歌手のうちの一人である。「ハートブレイクホテル」、「ブルー・スエード・シューズ」、そして「今夜はひとりかい?」といった彼のレコードはポピュラー音楽に大きな影響を与えた。彼はまた1957年の「監獄ロック」や1960年の「GIブルース」など多くの映画に出演した。エルビスはしばしば「王様」と呼ばれ、彼が死んだことを信じていない人もいる。何百万人の人々が、テネシー州メンフィスにあるグレースランドと呼ばれる彼の家を訪れる。

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テネシー州メンフィスにあるエルビスの家"Graceland"「グレースランド」↓
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↑道をはさんだ駐車場からこのバスでグレースランドに
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↑↓皆が耳にしているのはオーディオツアーのヘッドフォン。プレスリーのヒット曲を聴きながらグレースランドを見て回れます。お薦めです。
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by kazoousaca | 2006-01-10 22:45 | ☆アメリカの歴史(18)
1775年~83年:アメリカ独立戦争
「アメリカ独立戦争(the American Revolutionary War)」

(1775-83) the war in which people in Britain's colonies in North America became independent and established the United States of America (LDOCE)

北米のイギリス植民地の人々が独立を果たし、アメリカ合衆国を建国した戦争

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↑「ボストンのバンカーヒル記念碑」:独立戦争初期、ボストンでの「バンカーヒルの戦い」は敗れたもののイギリス軍を大いに苦しめ、米軍の士気を大いに盛り立てた。

by kazoousaca | 2005-12-04 22:41 | ☆アメリカの歴史(18)
1773年:ボストン茶会事件
「ボストン茶会事件(The Boston Tea Party)」

a protest in Boston in 1773 against the British tax on tea, when tea was thrown from British ships into the water. This is often considered to be the event that started the American Revolutionary War. (LDOCE)

イギリスの紅茶に対する税制に反対して1773年にボストンで起きた抗議行動で、イギリス船から紅茶を海に投げ捨てたもの。アメリカ独立戦争の発端となった事件であると考えられることが多い。(LDOCE参考)

紅茶を投げ捨てたこの行為について、当時の植民地の人々は、『「ボストン茶会」を開いたんだ』と冗談を言っていたそうです・・・

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「ボストン茶会事件船博物館」↑↓
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by kazoousaca | 2005-08-14 12:56 | ☆アメリカの歴史(18)
1787年:合衆国憲法制定
「憲法制定会議」

1787年にアメリカ合衆国憲法制定のために代表者が集まった会議(LDOCEより)

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ペンシルバニア州フィラデルフィアの「インデペンデンス・ホール」↓。独立宣言が採択されたこの場所で、「憲法制定会議」も開催された。
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"Constitutional Convention"
the meeting of representatives in 1787 in Philadelphia that led to the writing of the Constitution of the United States (LDOCE)

by kazoousaca | 2005-06-14 06:57 | ☆アメリカの歴史(18)
1776年:アメリカ独立宣言
「アメリカ独立宣言(the Declaration of Independence)」

1776年に書かれた文書で、アメリカにあった13のイギリス植民地が、彼らが独立国家となること、そして、これ以上イギリスの支配下であることに同意しないことを公式に述べたものである。その中で最も有名な部分は次のとおり。「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。すべての人間は平等につくられている。創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。」 (LDOCEより)

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ペンシルバニア州フィラデルフィアにある「インデペンデンス・ホール」↓。「インデペンデンス・ホール」、当時のペンシルバニア植民地の議事堂で、1776年7月4日、「独立宣言」が採択された。
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独立宣言時に打ち鳴らされた「自由の鐘(Liberty Bell)」↓
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"Declaration of Independence"
the document written in 1776, in which the thirteen British colonies in America officially stated that they were an independent nation and would no longer agree to be ruled by Britain. The most famous part of it is: We hold these trusts to be self-evident, that all men are created equall, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness. (LDOCE)

"Liberty Bell"
a bell, kept in Philadelphia, in the US state of Pennsylvania, which was rung on July 8th, 1776, during the American Revolutionary War to tell people of the Declaration of Independence from Britain. Because of this, the bell became a symbol of liberty for the US. In 1846 it cracked when it was rung to celebrate the birthday of George Washington, and it could not be repaired. (LDOCE)

「自由の鐘」
独立戦争時、イギリスからの独立宣言を人々に知らせるために1776年7月8日に鳴らされたペンシルバニア州フィラデルフィアにある鐘。このような経緯で、この鐘はアメリカの自由の象徴となった。1846年に、ジョージ・ワシントンの誕生日を祝うために鳴らされたときにひびが入ってしまい、それ以降修理されていない。

by kazoousaca | 2005-06-13 06:14 | ☆アメリカの歴史(18)
1845年:マニフェスト・デスティニー(明白なる運命)
マニフェスト・デスティニーという言葉は、ニューヨーク州のジャーナリスト、ジョン・オサリバンがデモクラティク・レビュー誌の1845年7月号に発表した「併合」という論文のなかで使用した言葉(この「併合」は1845年の「テキサス併合」のこと)です。「神によって与えられたこの大陸に拡大して行くのはマニフェスト・デスティニーである」と。アメリカの領土拡張、西部開拓を正当づけるものとして好んで用いられたようです。その後、「民主主義を広めるためには海外進出もアメリカの使命である」という風にアメリカ帝国主義の正当化にもたびたび使用されることになりました。

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↑カリフォルニア州サクラメントにあるカリフォルニア州鉄道博物館(California State Railroad Museum)の展示物
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↑オレゴン州オレゴンシティのエンド・オブ・オレゴントレイル資料館(End of the Oregon Trail Interpretive Center)の展示物(開拓者を西へ西へと導いていく進歩の女神。その手には書物と電線が。彼女の先ではインディアンや野生動物が追い立てられている。)
"Manifest Destiny"
the belief that the US people had the right and the duty to take land in North America from other people, because this was God's plan. This phrase was used by journalists and politicians in the 19th century when US citizens moved west across North Amrerica and the US gained Texas, California, Oregon, and Alaska. (LDOCE)

「マニフェスト・デスティニー(明白なる運命)」
「アメリカ人には他の人々から北米の土地を奪う権利と義務があり、これは神のよって定められていることだ」という考えのこと。このフレーズは、アメリカの市民が北米大陸を横断して西へ西へと向かい、アメリカがテキサス、カリフォルニア、オレゴン、そしてアラスカを手に入れた19世紀に、ジャーナリストや政治家によって用いられた。

by kazoousaca | 2005-05-29 07:34 | ☆アメリカの歴史(18)
1804(~1806)年:ルイス&クラークの北西部探検2
【ルイス&クラーク北西部探検の主な登場人物】
ルイス&クラーク。そしてクラークの奴隷だったヨーク(York)と犬のシーマン(Seaman)。(モンタナ州グレートフォールズにて↓)
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そして、ネイティブアメリカンの若い女性サカガウェア/サカジャウェア(Sacagawea/Sacajawea)とその赤ん坊ポンペイ(Pompy)。彼女は通訳として先住民との友好な関係を築くのに貢献しました。先住民の間では、女性・子供は戦いに参加しないものという慣習(=ルイス&クラーク探検隊は戦うつもりはない)があったようです。(そんな功績を称えてサカジャウェアとポンペイは1ドル硬貨にもなりました。サカジャウェアはポカホンタスと並んで有名なネイティブアメリカンらしいです。↑

1804(~1806)年:ルイス&クラークの北西部探検1はこちら

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Sacagawea
---- Sacagawea, a Shoshone from the Rocky Mountains, was about 17 years old in 1804. ---- She was hired as an interpreter, not a guide. ---- Her job was to translate from the Shoshone language. Most importantly, she helped the Corps buy horses from the Shoshone and get other help in crossing the Rockies.
Many of the Indians the Corps met never allowed women to go on war parties. So, when these Indians discovered the Corps, and saw a woman and a baby in it, they decided the strangers were friendly. ----
~ロッキー山脈の先住民ショシーニ族のサカジャウェアは、1804年当時、17歳くらいだった。~彼女は道先案内人ではなく、通訳として雇われた。~サカジャウェアの仕事は、ショショーニ族の言葉を訳することだった。彼女のもっとも重要な仕事は、ショショーニ族から探検隊が馬を買うのを手伝うことだった。探検隊がロッキー山脈を越えるのにも彼女は貢献した。
 探検隊が遭遇した多くの先住民は決して女性を戦いに同行させなかった。だから、これらの先住民は女性と赤ん坊を同行している探検隊を見つけたとき、探検隊には戦う意思はないのだと思ったのだ。~
(「Going Along With LEWIS & CLARK」 by Barbara Fifer, Montana Magazine より)
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by kazoousaca | 2005-05-07 08:48 | ☆アメリカの歴史(18)